チャーリーズコーヒーについて。
はじめに…
2024年秋に北海道のオホーツク管内最北の町「雄武町」でスタートした自家焙煎のお店です。半径85kmには自家焙煎のコーヒー屋さんはない地域、娯楽施設と言えるものもほとんどない、少子高齢化が進むエリアとなります。
店舗は未だ持たずに(将来的には考えていますが)、地域に根ざした新鮮なコーヒーをお届けしたいというのが焙煎コーヒー屋をやろうと思ったきっかけです。
そうは言っても世間には様々なカフェやコーヒー屋さんがごまんとあります。各お店それぞれの特色を出しています。私の焙煎する豆はクオリティの高いものを使いますが、毎日飲んでも飽きないホッとできるコーヒーを目指しています。どう書けば伝わりやすいのか考えましたけど、10回飲んで2度3度「あ、美味しいなぁ〜」と思っていただける普通のコーヒーを目指しています。
僕の住むエリア(だけではなく都市部を除いた北海道全域に言えること)は、体を使って働く人がとても多いです。第一次産業で成り立っています。朝仕事の前に、昼ごはんの後の休憩に、仕事を終え一日のホッとできる夕べに。そんな中に入り込んでいけるコーヒーをお届けしたいという気持ちが強いわけです。
名前の由来…
チャーリーズコーヒーのチャーリーは、英語名としては良くある名前。
スヌーピーで有名な「チャーリー・ブラウン」、名アルトサックスプレーヤーの「チャーリー・パーカー」、The Rolling Stonesの名ドラマー「チャーリー・ワッツ」、吉本新喜劇の名優「チャーリー浜」、児童文学の金字塔「チャーリーとチョコレート工場の秘密」などなど枚挙にいとまがありませんが、チャーリーズコーヒーのチャーリーはもうすぐ8歳になる我が家のアビシニアンキャット、チャーリーくんの名前です。
クールな男の子ですが、とても温厚な性格です。彼から名前をつけたコーヒー屋さんです。
我が家にはもう1匹相棒がいます。来年一月に3歳になるラブラドール・レトリバーの「達郎」です。私の10代からのアイドル山下達郎さんから名前を拝借しました。
達郎もチャーリーと同様とても温厚な性格で、人が大好き。少しドンくさいところもあるけど、チャーリーとも、とても仲が良く2人で楽しそうに戦っています。
自分の人生でペットを飼うことは想定外だったのですが、今は彼らなしの生活は考えられないものになっています。こと達郎に関しては、朝昼晩の散歩は欠かせなく一日2万歩10キロ以上歩いています(笑)
私について…
チャーリーズコーヒーを運営している私について少しだけ…
- 昭和40年(1965年)生まれ59歳
- 雄武小学校・雄武中学校卒業
- 紋別北高校卒業
- 中央大学文学部文学科卒業
- カナダに1年留学し、その後ヨーロッパを半年間放浪旅行
- 東京都練馬区で進学塾講師
- 49歳で雄武にUターン
- 平成28年(2016年)4月より3年間雄武町の地域おこし協力隊として活動
地域おこし協力隊を退任した後は町内で学習塾を立ち上げ、同時に町議会議員をやらせていただいたり、2023年の町長選挙に出馬したり(落選しましたが涙)となかなか波瀾万丈のワクワクする人生を過ごさせていただいています。来年2025年はとうとう還暦を迎えますが、コーヒー焙煎という仕事も奥の深いもの。人生のジ・エンドを迎えるまで楽しめるものかなぁと考えています。
小学5年の時に、ラジオから流れてくる音楽があまりにもかっこよく、当時両親に買ってもらったソニーのラジカセのCMソングにも使われていたのが、Billy JoelのThe Strangerでした。それまではクラシック音楽に夢中。夢は指揮者かお坊さん(きれいな着物が着れるから)だった私が、アメリカのロックミュージックに初めて触れた時です。そこから独学でピアノを弾き始め、BillyのHonestyは私のお箱となりました。
中学1年の時同級生の岸田くんに借りたイエローマジックオーケストラのLPレコードで私の音楽観が決定します。細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人は私のアイドルとなり、それは57歳になる今も続いています。残念なことに2023年1月に高橋氏が、3月に坂本氏が天国に旅立ち、私の体の一部がもぎ取られるような喪失感でした。
ポップスからクラシックまで幅広く音楽は聴きます。昨今のサブスクを賑わす音楽はメロディが複雑すぎてついていけない時もありますが、もちろん若者に人気の「羊文学」が最近のお気に入りです。
上の「音楽との出会い」にも書いた通り、英語に興味を持ったきっかけはBilly Joelの音楽です。日本語にはない音に魅了されて、母に英語入門の本をお願いして買ってもらった記憶があります。1970年代後半のお話です。「好きこそものの上手なれ」のとおり、中学に入学し英語を勉強し始めた時のうれしさは今も鮮明に覚えています。英語の担当は中野先生。授業の最初は”Stand up. Greet.”(起立。礼。)でいつも始まっていました。興浜南線の車両で初めて外国人と話したのもその頃です。
私はアメリカ文化に魅了されていたので、25歳の時初めてアメリカに降り立った時の感激も忘れられません。カナダに勉強するために乗った飛行機がテキサス州のダラスで乗り換えする、そこが私のアメリカ大陸の第1歩でした。
カナダではトロントから車で2時間ほどのロンドン(イギリスからの移民が多く暮らしている街なのでそのままロンドンです)という町に住み、その後大陸横断鉄道(Canada Via Rail)に乗って3日かけて西海岸のバンクーバーに引っ越しました。
カナダからヨーロッパに渡り、バックパッカーとしてさまざまな国を旅して回りましたが、英語を話せることの大きな利点は、知らない国の人たちと意思疎通ができるということです。もちろん南フランスやイタリア、スペインの片田舎に行くと全く英語が話せない人も多くいますが、少なくとも英語を話し、異文化の人たちとコミュニケーションすることは自分の器を大きくするのにとても役立ちました。例えば、フィンランドのラップランド地方(サンタクロースの故郷です)を旅していた時、夏季休業中の学校をユースホステルとして利用するところに泊まりました。受付のお姉さんが日本に住んでいたことがあり、私が住んでいた場所にとても近い街だったという偶然が重なり、楽しいお話をすることができました。
ほんの少しですが、イタリア語も話せます。理由は下の「料理」がきっかけ。英検同様イタリア語検定なるものがあるのですが、4級まで取得しましたw
料理は好きでよく作ります。若い頃からイタリアが大好きでしたので、パスタは大好物ですし、得意料理になりました。オーソドックスなトマト系、ペペロンチーノに代表されるオイル系、そしてカルボナーラのようなクリームソース系、そして和風パスタも作ります。
コーヒーの愛飲歴はもちろん長く習慣的に飲むようになったのは18歳のとき。上京して一人暮らしを始めた頃からですので、もう40年になります。
記憶に強く残っているコーヒー場面は「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」の大黒柱であるチャールズ・インガルス父さんが大きなマグカップを持って家族と団欒する姿です。あ、ここにもチャーリーが出てきていますね。
写真にハマったのは、38歳くらいだったでしょうか。森山大道というモノクロ写真の魔術士のような写真家に憧れました。その頃はデジタルカメラが大ヒットし始めていましたが、私はコンパクトフィルムカメラを使い、現像まで自分でやり始めていました。このサイトの写真はすべて私が撮った写真です。
コーヒー焙煎をやっていて感じることは、モノクロ現像との共通点が多くあるということです。現像液の温度やその時間、撹拌するリズムなど一定解のない奥の深いものです。